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1983年 銚子電鉄 [はつかり(鉄系)]

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銚子電鉄 デハ702


北関東から外れてしまいますが、1983年4月には銚子電鉄にも出かけていました。
今回見てみたら、保存が悪く、スライドがかなり褪色してしまっていますが・・・・
なんとかスキャンしてみました。


最初に終点手前の外川の近くの丘に向かったようです。

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デハ301

めずらしいビューゲル装備車輌でした



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犬吠埼の灯台を背景に

デハ702は昨年まで走っていました


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キャベツ畑の中を走るデハ301


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近代的なスタイルのデハ702


犬吠まで行ったあとは本銚子に戻ってみました。
松林の中を走る風景がありました。

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ローカル私鉄らしい風景


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デハ702の銚子側は2枚窓


このとき仲ノ町にいたアルゲマイネのデキ3も見たのですが、どうも写真がありません。
別の時に近くで写真を撮ったのかな。

ぬれせんブームになるずっと以前の銚子電鉄でした。

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1983年 鹿島臨海鉄道 [はつかり(鉄系)]

今日の北関東ローカル私鉄紀行は、鹿島臨海鉄道です。
といっても、北鹿島と水戸を結んで旅客輸送をしている大洗鹿島線ではなくて、貨物線となっている鹿島臨港線の方の話です。

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鹿島臨海鉄道、さよなら記念号



ご存知の方も多いと思いますが、1978年の成田空港開港に合わせて、鹿島港から成田空港までの燃料輸送が開始された際に、テロの標的になるリスクを恐れる地元対策として、確か一日3往復の旅客列車が鹿島神宮-鹿島港南間で運転されるようになりました。

写真にもあるように、臨海貨物線の途中の野っぱらのようなところに終点の鹿島港南駅が造られておりまして、利用者の多かろうはずもなく、1983年には早くも廃止となることになりました。

その最後の週末におとずれたようです。


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鹿島神宮駅の駅名票


今は”かみす”じゃなくて鹿島サッカースタジアムになっているんでしょうね。
実際には鹿島神宮の次の北鹿島貨物駅までは国鉄線。旅客を扱わない北鹿島でスイッチバックして臨海貨物線に入っていくという経路でした。有名な話ですね。


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「さよなら号」は手作りのサボが入っていました


サボは北鹿島-鹿島港南になっていますが、列車は鹿島神宮発着でした。

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さよなら乗車のファンで結構にぎわっています


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終点、鹿島港南は何もない草っぱらの中に


多くのファンが訪れていました。
ダイヤも3往復だけでしたから、帰りはバスにせざるをえなかったようです。

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国鉄キハ10の払い下げ車両が走っていました


なぜかバスは結構頻繁に走っていて銚子までバスで出たと記録しています。

11月末で旅客列車は廃止されてしまいました。

さらに1年後の1985年、今度は北鹿島-水戸間の大洗鹿島線が開業することになるわけです。

2011年東日本大地震で運休になっていましたが、現在一部区間が復旧し始めています。
一日も早い全線復興と貨物線のほうもなんとか復活してくれることを祈っています。


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1987年 筑波鉄道筑波線 [はつかり(鉄系)]

懐かしの関東ローカル私鉄、時代は少し下って、1987年2月の筑波鉄道です。

当時は国鉄中心の乗り鉄活動に精を出していたため、どうしても私鉄は後回しになってしまって、ここも廃止の声が聞こえてからの撮影になりました。関東鉄道が分割されたのち、つくば万博の輸送にも一役買ったし、土浦は東京への通勤圏だと思っていたので、一気に全線廃止になるのはちょっとショックでした。

土浦から入って、まずは筑波山の見える常陸北条に行きます。
どこの駅も長いホームと広い構内がかってのにぎわいを感じさせていました。

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乗ってきたキハ761が出発してゆく


北海道の雄別鉄道から転属してきた気動車です。
バス窓の気動車が懐かしい。
駅南側の跨線橋から常陸北条の駅構内が見下ろせました。


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僚機キハ762


かっては貨物施設も整っていたであろう広い構内がまだ残っていました。
貨物線2線に旅客ホームも3面もあります。

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筑波山を後に上ってゆく



筑波山のすそ野を回りこんで上大島駅に移動しましょう。
筑波駅をすぎると一気にローカルムードが高まります。

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出発してゆくキハ504


大きな窓のスマートな車体でなんと空気ばね付きの台車をはいていました。

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日中には珍しかった2両編成


キハ503+キハ301(元国鉄キハ35)です。
このような雑多な車輌が魅力の路線でした。


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風情のある上大島駅のホーム



この桜の花咲くときに撮影したかったのですが、かないませんでした。
雑誌で桜の写真を見てここで下車したのかもしれません。

今度は真壁に移動。駅構内で撮影しました。

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広い真壁駅構内をゆくキハ762


ここも広い構内が残っていました。

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いかにもローカル線らしい看板たち


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バス窓気動車キハ762




このあと水戸線の岩瀬に抜けて常総線で帰りました。


筑波鉄道はこのわずか1カ月後1987年3月31日限りで廃線となりました。
つくばエクスプレス開通まで踏ん張ってくれれば、ネットワークの一部として、南半分は生き残れたのではないかなどと妄想してしまいます。
いまはこれらの駅舎たちもあとかたもないのでしょうね。
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1983年 日立電鉄 [はつかり(鉄系)]

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1983年4月日立電鉄


1983年、北関東ローカル鉄道シリーズの第2段は日立電鉄を取り上げましょう。

水郡線の支線の常陸太田近くの常北太田から常磐線の大甕(おおみか)へて鮎川までの区間を結んで走っていた電気鉄道です。日立製作所などの通勤輸送でにぎわった時代もあったようですが、このころすでに日中は小型の単行電車が1時間に2本ほど往復するだけになっていました。

昔買い求めた2万5000分の1地形図を引っ張り出して、振り返ってみます。

常陸太田駅前の広場の反対側にある常北太田駅から日立電鉄に乗車。

地図で目星をつけ、常陸岡田で下車。
最初は田園地帯を走る電車を撮影しました。

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農家を掠めるように走る単行電車


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田園地帯をゆく単行電車

この電車は元相模鉄道(現在のJR相模線)で使われていた気動車を改造したもの。
もともとは半流線型だったというから驚きです。

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常陸岡田-川中子間を走る単行電車


こちらは営団地下鉄用に作られた電車のお流れ品モハ11型。
少し後に日立電鉄は営団の2000型電車を大量導入しましたが、戦後すぐから縁があったようです。

続いて大橋駅に移動。
大橋駅西側に高架橋があり当時から撮影名所になっていました。

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長い高架橋をゆくモハ15


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やや大型のモハ1001


こちらは元小田急のデハでした。

鮎川寄りの田園地帯でも

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大橋-茂宮間 モハ15


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モハ1001



常北太田に留置してあった車両群です。

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片運転台のモハ1004。これも元小田急です。

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ヘッドライト1灯のモハ15型もありました。

愛すべき電車たちがたくさん所属していた日立電鉄ですが、その後1992年に旧営団の2000型電車に入れ替え。
そして2005年3月に残念ながら全線廃止になってしまいました。

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1983年 東武鉄道 熊谷線 [はつかり(鉄系)]

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東武熊谷線をご存知でしょうか



大東武にあって最後まで非電化のまま、離れ小島のように存在していた熊谷線。

廃止の決まった1983年4月カメラ片手におとずれました。
熊谷駅の新幹線の高架下の国鉄と秩父鉄道に挟まれたところからひっそりと発車しておりました。
(というより、秩父鉄道駅に間借りしていた感じ)

全線非電化単線で、キハ2000型という小型気動車が行ったり来たりしていました。
熊谷駅を出ると上熊谷までは秩父鉄道に並走、共用駅の上熊谷を出ると意外に立派な築堤を上って高崎線をオーバークロスします。そこから先はほぼ畑の中の平たんな路線です。

当日は、キハ2000型2両編成が往復していました。

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湘南電車顔のキハ2000型



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終点、妻沼近くを走る


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当時の東武の標準塗色のクリーム色になっていました


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野菜畑の中をゆく


よく見ると、2両編成のキハに結構な数のお客さんが乗っています。

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終点妻沼には腕木式信号機がありました。



廃止が決まったときとはいえ、ファンの姿もなく、静かな日曜日でした。
この2カ月後、1983年5月末に廃止されました。

関東のローカル私鉄シリーズ第1段として、東武熊谷線をご紹介しました。
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1983年 九州  (きっぷ編) [はつかり(鉄系)]

80年代初めの乗り鉄の必須切符といえば・・・・・
じゃん!

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九州ワイド周遊券!
旅行会社では、このような気のきいた表紙を付けて売ってくれていました。
このころすでに、国鉄の窓口ではほとんど表紙付きは売っていませんでしたので、旅行会社で買うことが多かったようです。(・・・とよく見ると表紙は近ツリ、切符のほうは交通公社ですから、表紙は別の時の奴ですね・・・(^^ )
途中下車印は控えめです。

続いて、私鉄の切符
鹿児島交通の車内補充券です。
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1984年の元日の日付になっていますが、区間のパンチが見当たりません。
どこで買ったものか、記念に買ったものかまるで記憶がありません・・・・(^^ )

さて、行き帰りの指定券類

最初は、特急「富士」と長崎行きの普通列車「ながさき」のB寝台券
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「ながさき」は当時、全国に4往復あったB寝台連結の普通列車の一つです。
この2枚は旅行会社のL型端末で発行された横長タイプのきっぷです。

さらに、国鉄駅で使われていたN型端末発券の指定券

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上は、博多-伊集院間で使った臨時「有明」の指定券。夜行列車なのでグリーン車をおごったものと思われます。夜行「かいもん」の寝台は満員だったのでしょうかね。
下は、熊本-博多間の「みずほ」の指定席券、いわゆる”ヒルネ”扱いのきっぷですね。
この旅では、途中で友人と合流して、少しでも早く博多につきたかったためか、ちょうど接続していた「みずほ」にのったようです。

”1枚のきっぷから”ならぬ”6枚のきっぷ”で振り返ってみました。





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1983年九州の路面電車 [はつかり(鉄系)]

今も昔も路面電車大好き人間です。

九州巡り時に少しずつ撮影した路面電車の写真がありました。(1983年11月と12月)


西鉄北九州線

かっては北九州市内に路線を張りめぐらせていた西鉄の北九州線。
このころは北方線がすでに廃止されていましたが、広軌路線のほうはかろうじて全線健在でした。
福岡の市内線はすでに廃止されていました。


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若戸大橋の下をゆく戸畑線

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戸畑か? 折尾駅前か?

う~ん、すっかり忘れてしまっています。
メモぐらいしておくべきでした。

国鉄だとあっという間の小倉-門司間がえらく長く時間がかかったのを覚えています。


熊本市電

熊本市電はこのころも元気でした。

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熊本駅前は線路が駅舎寄りに引き込まれていました。
今はもっと駅舎近くに引き込まれ、モダンな屋根がかかった駅前広場が完成しているはずです。

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デビューしたばかりの8200型。日本で初めてのVVVF電車です。
近年、超低床車を大量の導入していますが、このころはこの軽快電車タイプ2両が最新鋭だったのですね。


鹿児島市電

鹿児島市電です。
このころは、伊敷線、上町線といった支線も健在でした。

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冷房改造前の600型
西鹿児島駅前でしょうか?

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冷房改造された600型
市役所付近で分岐していた上町線だとおもいます。

熊本、鹿児島の市電は今も元気に運行しています。近年、路線の改良、低床車輌の導入など、元気を取り戻してきていますが、さらに活性化を目指してほしいもの。
両都市ともJRの中央駅と中心繁華街が離れていますので、JR線から市内線へ乗り入れるシュツットガルト方式で郊外からの乗り入れなんてどうでしょうか。

熊本だったら、田崎橋付近で鹿児島本線の南から、上熊本で北側から、また水前寺で豊肥本線との乗り入れは交直両用の電車を作ればすぐにでもできそうです。交直流が難しければ、どちらかをバッテリー駆動なんていうのも近い将来できるのではないかな。

鹿児島だったら、鹿児島中央-鹿児島間を市内線経由にすれば非常に便利ですよね。



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1983年筑豊~南九州へ [はつかり(鉄系)]

高森から立野、阿蘇を経て、バスで肥後小国。
ここから小国線に乗って日田経由、小倉へ。
小倉で1泊後、筑豊地区の路線を乗り歩きました。


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最後まで客車列車が活躍した室木線の風景。

詳細な行程は別の機会に譲りますが、この年2回に分けて筑豊地区の路線に乗りまくりました。
時刻表を読み込んで乗り継ぎを組み立てるのは時刻表マニア冥利に尽きる作業でした。

一日乗り歩いた後、「ながさき」のハネで諫早。
なぜか諫早から島原鉄道、フェリー、三角線で熊本へ。

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島原鉄道のキハ20、この前の年ぐらいまで、国鉄の急行列車に連結されて博多まで入っていました。



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583系が「有明」にも活躍していました。
後ろにいるのは「はやぶさ」の24系寝台車のようです。

熊本から佐賀線で佐賀へ。


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ここでボンネット「かもめ」を拝見。やっぱりかっこいいです。
後ろの方に見えるのは唐津線用のキハ35です。

このあたりで、583系改造の715系が試運転しているのに出会いました。

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どこで撮影したのか思い出せませんが、翌年営業運転に入っているので、改造されたばかりでピカピカの様子です。


唐津線、筑肥線、福岡市営地下鉄経由博多へ。
夜行の「臨時有明」で南九州に飛びました。


やってきたのは、南薩鉄道あらため鹿児島交通。
この年の6月の水害で、伊集院-日置間と加世田-枕崎間が不通になってしまっていました。

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伊集院-西鹿児島間に乗り入れてたキハ300型(国鉄キハ17もどき)は国鉄線内に取り残されたまま、乗り入れダイヤで運行していました。

伊集院から日置まではバス代行。
日置駅ではバスを横付けして乗り換えです。

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最後に宮之城線、山野線という薩摩のローカル2線に乗ってこの旅を終わりました。

宮之城線はなせか、薩摩永野でスイッチバックしていました。
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なつかしい腕木式信号機

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山野線の菱刈駅
直立不動で列車監視する鉄道員の姿も過去のものになってしまいました。







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1983年宮崎行 [はつかり(鉄系)]

古い写真を眺めていたところ、1983年年末の九州巡りのスナップが出てきました。
保存の悪いプリントをスキャンしていますので、画面の痛みがありますが、ご容赦ください。

国鉄のローカル線巡りに集中していたころのことです。


このときは「富士」で九州入り。門司で九州に入ってから長い長いヒルネ区間を走ります。
このころはすでに宮崎行きに運転区間が短縮されていましたが、宮崎に着くのはなんと夕方の15時44分。
冬のことですからもう日も傾くころとなります。
大分辺りまではかなり込み入ってきた車内も延岡を過ぎるとがらがら。ゆっくりヒルネできますが、さすがに飽きてしまいますね。とくにオハネ25の車端部の片側だけベッドのある区画でしたので、すいてくる大分あたりまでは車窓もせまく、佐伯か延岡あたりで隣に引っ越したんだと思います。

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宮崎に到着した「富士」

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この時代は九州内はED76にはヘッドマークは付いていなかったので機関車まで撮影しにはゆきませんでした。

途中で見かけた客車列車

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どこで撮ったか、残念ながら思い出せません。ネガを発掘すれば前後関係でわかるかもしれません。
地方幹線ではまだまだマニを連結した旧型客車列車が頑張っていた時代です。


宮崎から、今は亡き妻線にのります。日豊本線を少し戻った佐土原から分かれていた第1次特定地方交通線でした。列車は宮崎から直通、夕刻迫る終点・杉安に到着
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こんなローカル線がいっぱいありました。
妻線はこのほぼ1年後1984年の暮れに廃止されました。

この後、佐土原から延岡に移動。
このときにのった「にちりん34号」は583系電車のアルバイト運用でした。
翌年の2月改正で583系電車の日豊本線運用は廃止されました。

延岡で1泊後高千穂線に向かいます。

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延岡駅で見かけた485系(481系かも)の「にちりん」
小倉行きの「にちりん8号」と思われます。

高千穂線の気動車はキハ20の2両編成

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途中、木製の駅名票も懐かしい日の影駅で交換するキハ20。
ここも第3セクターへ転換後、2004年の洪水被害で結局廃止になってしまいました。

首都圏色のキハ20は全国どこでも見られた光景です。

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このころは各地でこういった”手抜き”サボがつかわれていました。これじゃあどっちに走るかわかりませんよ。
今どの行程に入るかによって走る向きが全く反対になってしまいますから、合理化によるサービスダウンも極まったというところですね。

終点、高千穂にて
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1972年に開業した比較的新しい路線でした。


このあと、高森に向かうバスに乗ります。(続く)
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東日本地震災害について [やまびこ(日々のこと)]

昨日今日と自宅待機を命じられて自宅でインターネットをチェックしています。


三陸沿岸や仙台周辺、福島県内の津波被害、そして原発事故の状況に心が痛みます。
震度7を記録した栗原市の情報がほとんど報道されていないのも気になります。

今日朝日新聞の空撮で女川周辺で大破した石巻線の列車の映像がありました。
たらこ色のキハ40と東北色のキハ40が2両無残に大破してしまっています。


今は、被害にあわれた方の一刻も早い回復を願うばかりです。


眠れぬ夜に下宿先から自転車を飛ばした荒浜の海岸、仲間とボートを漕いだ貞山堀、
悩んだときに海を眺めに行った陸前大塚の浜、仲間とキャンプに出掛けた気仙沼大島

岩手、宮城で数年づつを過ごし、思い出多いこの地域が、時間がかかっても
何としても復興してくれることを祈ってやみません。
早く応援に行ける日が来ることを願っています。


さて、テレビの報道に一喜一憂してはならないとはわかっているのですが、次々とバナーに表示される速報にどきりとしたり安堵したりを繰り返しています。報道機関の方にお願いです。イベントをアップした時刻をぜひバナーのテロップに付加してください。

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